幼少の頃から絵を描く事が好きで褒め上手な母のおかげもあって、絵を描くための努力を苦痛と感じた事はありませんでした。
中学生の時に所属していた美術部で油絵を初めて触りました。美術室の準備室は、私にとってはちょっとした美術館で、先生の目を盗んで画集に見とれていたものです。高校1年生の時に学校の美術の授業や美術部の活動内容に自分の情熱とのギャップを感じアルバイトで稼いだお金で小さな絵画教室に通い始めました。水彩画や油絵、パステル画など、幅広く指導を受け芸術家になる事を心に決めました。
高校3年生の時に芸術大学への進学の話を父にした際、猛反対され芸術大学の進学を断念せざるを得ない状況になってしまいました。悔しさと現実の厳しさに直面し、絶望していた私は、当時通っていた絵画教室の先生(現 あべの絵画教室代表 竹島慶子先生)に相談し、親に金銭的な援助を受けずに進学する道を選びました。父には、美術専門学校の学費免除試験に挑戦し、落ちたら就職するという条件で了解を得て一年遅れで受験する事を決めました。狭き門に挑戦するリスクがあるにも関わらず芸大美大受験予備校などに通う金銭的余裕がなく、絵画教室と自宅練習のデッサンでこの難を乗り切るしかありませんでした。しかし、この日々は後に私が社会人にデッサン、絵画指導するにあたり、とても重要な事を教えていたと思います。プレッシャーに押しつぶされそうな日々を過ごし、晴れて美術工芸学科の学費免除試験に合格する事ができました。入学後も成績を維持し2年連続で学費免除資格を頂けたのは、ご指導いただいた先生方の指導力のおかげでした。
卒業後は、画家として作品発表を続け、絵画教室で絵画指導をしています。一週間に100人以上の生徒を教え続けて講師歴は20年になりました。その間、たくさんの絵画講師と共に働き様々な絵画指導方法に触れてきました。また同時に様々な生徒さんの要望を見聞きしてきました。そこで感じるのは、絵画の謎の敷居の高さでした。生徒さんからは、「以前通っていた教室でデッサンを描けるようにならなければ、油絵は描けないと言われた。」「社会人なのに週に2回以上通わなければ、デッサンは上達しないと言われた。」このようなエピソードで私が感じるのは、その方がどのような絵を描きたいと思っているか、あるいはどの程度のデッサン技術を必要と感じて絵画教室の門をくぐったのかが無視されているという事です。まるで絵画技術は0か100かでしか評価できないような厳しいエピソードです。これでは、自己表現方法にいつまでも自信が持てないというおかしな状況が生まれます。
芸術が自由である以上、技術の上達にゴールはありません。それが絵画の難しい所ですが、長い歴史の中で人々を魅了し続ける大きな理由です。芸術は、いつもそこにあり、距離を置いていたとしても、また受け入れてくれる。そんな自由な存在です。
私はそんな芸術の自由さを伝えながら、また先生の得意分野に生徒さんの表現をはめる事がないよう、幅広く画材を扱い、違いを知り、適格なアドバイスができるように皆さんと共に、日々学び続けています。
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